練習方法  間違ってました…

不思議と指はついてくる⁉︎

何度も練習しているのになんで同じ所でミスるんだ…⁉︎
まだまだ「練習が足りない…」となって何度も同じ練習を繰り返す… 私もこれは幾度となく経験しました。

突然ですが…「ナマムギナマゴメナマタマゴ」これを
「生麦・生米・生卵」と理解しているか否かでは口の回りが遥かに違いますよね。

ちなみに「東京特許許可局」はレベル1で「東京特許許可局許可局長」がレベル2。レベル3になると「東京特許許可局長今日急遽休暇許可拒否」だそうです。
これ何回挑戦しても、やはり「かんで」しまう…

これって、さっきの「ミス」と同じではないか⁉︎ と思ったのです。
少し冷静になって漢字の意味をイメージして、句読点の場所を工夫するとかすれば、
少しは「言いやすく」もなる… 要は頭がちゃんと理解すれば身体もついてくる。
演奏も同じで、本当は「音の理解が曖昧だからミスっている」のに、
それを「探究する、紐解く」手間を惜しんで、そのまま突っ走る、逃げ切ろうとする… 
だから何度練習をしても「かんで」しまうのでした。

高齢になればなる程、やはり体の動きは鈍くなる… 
力任せに練習ができた若いころとは違うと実感させられます。
しかし年を重ねたことで得る(悟る)「良い意味での脱力!」をここで行使しようではないか
と思うのです。「指のトレーニング」も、もちろん大切ですが…
頭のトレーニングをした方が練習効率がグッと良くなるというのが最近の悟りです。

しかも今の時代… 超便利な世の中になりました。
ちょっと検索すれば何でも出てくる… 昔(昭和の時代とか)なら膨大な時間をかけて、資料や教本を紐解くところを、少しの手間で色んな「見解」に触れることが出来ます。また、懇切丁寧なレッスン動画もけっこう出ていますしね… 今でこそできる「勉強法」大いに活用したいと思うのです。

音をちゃんと理解していれば、指もちゃんと動く!
しっかり理解すればする程、ミストーンは減る!
これは断言できそうです。

音の順番…?

目の前に譜面があって指をさらう、間違っていなければそれなりに音が出て、やがて曲らしきものに仕上がって行く。過去の私は、この練習法に何の疑いもありませんでした。
しかし、この練習で私が覚えていたのは「音や指が動く順番」だったのです。

一曲を「通して弾けるように」と練習を重ねる。なんとか出来るようになったら次の曲… 何曲か弾けるようになったら、以前にやった曲がよく思い出せない。また楽譜を引っ張り出してきて再度練習のやり直し… これが「音や指の順番を記憶した練習」の結果です。

今にして思えば覚えるべきものは、あくまでも「音楽そのもの」だった…

また「音の順番を記憶するのには限界がある」というのも事実です。
音の順序は後から「結果的にそうなる」だけで「思い通りに演奏ができる」ようになれば音の順番なんて考えることすらしない。
音楽の「言葉(フレーズ)」と「ストーリー(展開)」をちゃんと理解していればそれらを繋げて「話」が出来る… そうなるために「練習をすべき」だったのです。

音楽そのもの」とは、フレーズの意味や使われ方、それに伴う和音の理解、感覚的な印象の違いなど音楽の根幹部分という意味です。練習をしながら「だからこうなるのか⁉︎」という気付きや納得があってこそ「次に繋がる練習」となる… ただ単に「弾けるようになるため」の練習では無く「必要な音をいつでも出せるようになるための修練」なのだと… そういう意識になると、また練習へのアプローチが変わってきます。

楽譜に反応して音を出す」これは、クラシックやアンサンブルの世界ではとても有効な訓練です。しかし、ジャズの人達はそもそも楽譜を見ない
つまり、楽譜に反応して指が動くのではなく「自分の頭の中の音楽に反応して指が動く」これこそが「楽器を奏でる」ということだったのです。特にジャズの世界では…

10年のブランク

かなり年を重ねた後での「再挑戦」は「染みついた悪しき習慣との闘い」とも言えます。

思い込みの修正」や「手癖との格闘」、また「新しい概念の受け入れ」や「古い知識からの脱却」など実生活にも通じるような「様々な気づき」がありました。

音楽の生活習慣を変える」これが私にとっての「最大のテーマ」だったと思います。
「音楽への飽和状態」となってしまった理由の一つは、若い頃の「悪しき音楽生活の末路」だった様な気がします。ちゃんと学んでしっかり修行をしていれば「音楽でもっと自由になれたのに…」まあ今にして思えば、それも私の運命だったのでしょう。

ちゃんと理解していれば、指は不思議と動く」というのは、今までの「いい加減な練習」による「時間のロス」を悔いて… また反省しての悟りだったと言えます。
音の理解が足りないからミスっているのに、トレーニング不足だと思い込んで… 
これはまさに若い頃の私そのものです… もちろん音の理解に費やす時間はそれなりに必要ですが「その効果は絶大」と言えます。

プロの演奏家が変なミスをしないというのも、音に対する理解度の高さ・深さによるものが大きい… 当然、練習量にも格段の差があるのでしょうが… この「理解」が人間の行動に与える影響かなりのものだと思います。

後、大きな意識改革になったのが「覚えたフレーズは他でも使う」というもの。
むしろ「使い倒す」という方が適切です。これに気づいてからの練習は本当に変わりました。
フレーズに対する「思い入れ」が全然違うのです「次での使い道、別の場所でどう使う?」などなど… ただ弾いてるだけだったフレーズに色んな意味が付加されてきたという訳です。
こうなると、以前とは次元の違う「おもしろさ」や「奥深さ」が実感できてくるのです。

また「演奏に対するアプローチが基本的に違う」という気づきも有りました。
ジャズミュージシャンたちが見せる自由自在の演奏技術… 膨大な数のメモリー…
キーの変更なんて何のその… これについての「謎が解けた⁉︎」と思えたきっかけが
トランスの術」なのですが、これはまた別のブログでお話しさせて頂きます。

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