会話を前提とした練習

会話するとは

知っている、覚えているフレーズの音を探す… 真似てみる… リズムを変えてみる… またニュアンスを変えてみる… フェイクしてみる… 
これは赤ちゃんが「話そうとする」のと同じ行為だと思うのです。つまり「しゃべる」ための準備をしている

日本人が英語の勉強を学校で何年もやってるのに、どうして「英語を話せない」のか?

外国人タレントのパックンさんが「徹子の部屋」で言ってましたが「これはペンです… なんて使う場面ないですよ… 」て。

つまり学校では「文法」を教えたかったんでしょうね…「会話」ではなく

ジャズの教則本でも、理論や法則がまずあって後はパーツを入れ替えましょう的な教え方が多いで様です。「文法を理解すれば、応用が効くでしょ?」という理屈ですね。
でも言葉を覚えた時… 記憶すらない頃に「文法」なんて考えたことないですよね。
また「話す時」もそうです。いちいち「文法」なんて考えていたらしゃべれない。
「お久しぶりです!」と声を掛けられて…「あっ どうも!」と返す。
「ありがとう!」と言われて…「いいえ!」と返す。
これは「応用」ではなくて、多分「反応」ですね…(もしくは「習慣」かな)
つまり「咄嗟に反応できてこそ」の「会話」なのです。

赤ちゃんの最初の言葉「アー・アー」は、言葉というよりも「音」に近いものです。
でも赤ちゃん本人は、その時しっかりと「話そう、何かを訴えよう」としています。
それが、だんだんと「ハイ」とか「いや」とかの単語に変化、進歩してゆく。
様々な単語を覚え、次第に使う場所やタイミングを覚えて、やがて話せるようになる。

これと同じ様にジャズで話せるようになるには「ひたすら」ジャズ語を聴いて真似して
また会話するシーンを想像、妄想しながら「話すこと」を前提として練習をする!
そして覚えたフレーズを「どんな場面で、どう使うのか?」これを理解しようと勉強もする。

とまあ「理想を言えば」というお話ですが… 
そう自分に言い聞かせて「日々精進せぇよ!」みたいな感じですかね… 
自由に話せる様になれば絶対に楽しくなる筈です!

空気を読む

近頃よく耳にするフレーズで「あの人、空気読めない…」とかいうやつ… ジャズのフレーズでも使う場所を誤るとそうなりますよね。

さっきの続きになりますが、覚えたフレーズを「どんな場面で、どう使うのか?」これこそが「練習の目的」だと思うのです。

フレーズとコード進行は密接に関係していて、これが外れると不快や不安」にもなります。
また逆に、まったく同じフレーズでもバックのコードがオシャレに変わってくれると、
また違ったニュアンスに変貌するなんて事もあります。
フレーズとコードが醸し出す雰囲気や空気感… それらが一体となって音楽は成り立っています。「アドリブ」をする時でも、この「雰囲気や空気感」の中で「その場に相応しいフレーズ」が言えないと良い会話にはならない訳です。

「アドリブなんだから、なんでも有り…」とかいう人も偶にいますが、普通はそうもいきません。
「アウトしまくりのプレー」は時と場合による… また演奏者の「キャラ」にもよりますしね…

様々に変化する状況の中でフレーズがどう表情を変えるか? 
またその意味は、音の役割は? 
こういうのを「探求」し出すと立派なジャズオタクになれるんでしょうね…⁉︎

「中高年ジャズバンドのメンバー」となった最初の頃…
「ここのコードって、これでいいんですか?」という確認をした時の話です。
コードは好きにしていいんじゃない」というピアノさんの答え… 
当時の私にとっては信じられない返答でした。
えっ 無法地帯にする気…?」と本気で思いました。

しかしこれこそが「ジャズの自由さなのだ!」ということを大分後になってから理解します。
その時の気分次第で「ベースさんはそっちに行ってますか?」とか「ピアノさんはそう行きますか?」とか「いや、今のは違うでしょ⁉︎」とか… まさに「音での会話」です。

もちろんアンサンブルの中で「コードを決めない」という行為は、フレーズとマッチするコードを使いこなせるという前提があっての話ですが… 
こういった「自由さこそジャズの醍醐味」だったのですね。

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