移動ドについて

移動ド読み

テレビのCMでやってますよね… 確か、ヤマハ音楽教室だったと思いますが、「ドレミファソーラファ、ミ、レ、ドー」という子供たちが歌っているアレです。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は yamaha-cm-01.jpg です

このCMソングはメロディーの音と「音名」がちゃんと一致しています。

もし仮に、この曲が「Eメジャー」だったとしたら…
これを正確に(音の高さも)伝えようとするとかなりややこしいことになります。 

音の名前は「ミファ#ソ#ラシード#ラ、ソ#、ファ#、ミー」となって… もう大変です。
聞かされた方も迷惑ですよね。しかも実際の高さで歌っているとは限りません
絶対音感が無ければそうなります。これを涼しい顔で(実際は「Eメジャー」でも)
ドレミファソーラファ、ミ、レ、ドーと歌えば良い!」というのが移動ドのルールです。

またこれを「ハミング」で歌ったとしても、相手が「ドレミファソーラファ、ミ、レ、ドー」
と「階名」で認識してくれれば「ルールを共有出来た」ことになります。
このように、実際の音の高さ(音名)ではなく、全て「階名」を使って歌うというのが
移動ド読み」です。そしてこの考え方はキーの概念とも直結しています。

2-2-1-2-2-2-1

半音を「2-2-1-2-2-2-1」という間隔で順に鳴らすと
「ドレミファソラシドと聞こえる音階」になります。

これはどんな音から始めてもそうなります。

「ミ~ファ」と「シ~ド」は元から半音なので、ピアノの鍵盤上にも黒鍵は有りません。
「全音-全音-半音-全音-全音-全音-半音」つまりこの配列こそが「ドレミファソラシドと聞こえる」ことの正体です。試しに半音の位置を一つでもズラすとそうは聞こえなくなる… 音の流れが暗くなったり不安定になったり、また中途半端になったり… そして改めて「ドレミファソラシド」に戻ってみると抜群の安定感があります。
この安定感こそ音階の基準…「代表選手たる由縁」でしょう。

ちなみに「そう聞こえること自体」が相対音感を持っている証拠だとも言えます。
この仕組みを利用した音の読み方が「移動ド読み」です。
ドレミファソラシドと聞こえるならドレミファソラシドと読む、認識する…
音の高さが実際とは違っていても、どんなキー(調)であっても全て同じ読み方に統一する。
なので「ドが移動する=移動ド」という訳です。

「読める」とは「歌える」ということです!

「ドレミファソラシド」には本来の大切な意味があります。それは「音の高さを表す呼び名」ということ… 普通に字を読むのとは違って「読み」だけが合っていてもダメなんです。

「ドレミファソラシド」と読む場合は然るべきピッチで音が順に上がって行かないと「読んだ」ことにはならない、同様に「ドシラソファミレド」なら、音が順に降りていないと「読めた」ことにはならない… これこそ「ドレミファソラシド」が存在するそもそもの意義です。

例えば楽譜があって「ドレミ、レミファ、ドーシラソ」というのを読んだときに、ちょうど本の黙読と同じ様な感じで… これがメロディーとして頭の中でイメージできますか? 
もし、「歌えない」とすればそれは音がちゃんと理解できていない… 
「読めていない」ということを意味します。

音楽をやるからには音を扱う。だから「その音の名前」をちゃんと覚えてあげて、それぞれの「性格・キャラクター・役割」を理解してあげる… そうするともっと音と上手く付き合えるようになる… 私自身「ちゃんと音と向き合っていなかったかな…?」という自戒の念が多々あるのです…

クラシック音楽の世界には「ソルフェージュ」という「音楽の読み書き」に該当する教育プログラムがあります。とても簡単な音の動きから勉強を始め、それを読む、歌う、聞き取る、楽譜に書く… これを初心者の段階で、楽器の練習と同時進行していれば、音楽の理解度や上達の度合いもかなり変わってくるでしょうね。
しかし「ドレミ」がゼンゼン分からなくても、綺麗なメロディーや悲しいフレーズ、楽しい音楽、壮大な楽曲、かっこいいソロや、シブいコード進行… それらはまたゼンゼン伝わるし、音楽的感動も普通にできます。実は音楽全てを「ドレミ…」で解釈する必要などないと言えばない… ちなみに、プロのミュージシャンでも、ソルフェージュができない人なんて山ほどいます。(もちろん出来る人も山ほどいますが…)なので「ドレミが分かる」ことと「音楽が出来る」とは別の次元だし、また別の話でもあります。

移動ド読みのメリットとデメリット

移動ド読み」が出来てくると音の高さや流れに名前が付きます
それと同時に頭の中でメロディーをイメージ出来るようにもなります。

例えば「ドレミファソ」と「ドレミファ#ソ」とでは違うメロディーだという認識が音の名前から判別できる… これが西岡式だと「ドレミファソ」と「ドレミフィソ」という違いになります。

当然、音の高さも変えて歌えるように訓練するのですが…
次の音源を聴いてみてください。


たった一つの音が「#」しただけなのに…
メロディーの世界観がかなり違うように感じませんか?

今度は「ソーラシド」と「レーミファ#ソ」の違いはどうでしょう?


まずは音の高さが違います。でもメロディーの世界観はどうですか?
何か似ている感じがしませんか、音の流れ方が…
実はこれ音程の関係(構造)だけで見ると同じ音の流れなのです。


ここでキー(調)を設定してみましょう。
「ファが#」ということは「Gメジャーキー?」と考えて、
これを「移動ド」で読むとどちらも同じ読みになる… 
両方とも「ソーラシド」となります。


Gメジャーキーの「レミファ#ソ」は音の役割という視点で見ると、
Cメジャーキーの「ソラシド」と同じ役割になるのです。
なので「同じ音の流れ」は「同じ読み」とする…
これが移動ド読みの考え方でありルールです。

このようにキーが変わっていても共通の感覚を維持できる
またそう認識する為の読み方なんです。
音の役割や流れを最優先して、同じ流れは同じ読み方にする。
このことが「移動ドは音楽的な読み方」だと言われる由縁です。

デメリットについて

今度はデメリットのお話です。私が一番不便だと思うのは楽譜を前にした時です。せっかく覚えた筈の音の場所と読みが変わってしまうという現象です。むしろ記譜法を変えて欲しいとさえ思えて来る… 例えば基本は「全てキーCで記譜」をして、「これはキーFで演奏してね!」とかにしてくれた方が移動ドの人にとっては有難いのです。

逆に言えば、移動ドを習得すると頭の中は「ほぼCキー」になってしまうのです。
後は「調性」の問題ですね。この話はまた「スケール関連」のブログでやりたいと思います。
現在市販の楽譜は「固定ド」が基本になっているので、まずここはデメリットとなるでしょう。

クラシックの世界では、作曲者へのリスペクトもあって「原曲のキーで演奏される」ことの方が多い様に思われます。また「譜面の通りに、せっかく苦労をして練習したのに… それを変えるなんて…」という気にもなる… それと、キーが違うとやはり雰囲気や世界観が異なるというのも事実なので「世間に公表する楽譜」としては「固定ドが基本」となるのでしょう。

楽譜を書ける昔の作曲家ってかなりの音楽教育を受けた人ですから「絶対音感は当たり前」だった… 映画「アマデウス」の中でモーツァルトやサリエリが楽器を持たずにサラサラと楽譜を書くシーンを覚えていますが、多分彼らは「絶対音感」の持ち主でしょう。古くから残っている楽譜の殆どがこういう人達の手に拠るモノなので「楽譜は固定ド」が当然だったのでしょうね…

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